2017年8月26日土曜日

ノラバー生うたコンサート

夏も終盤に差し掛かろうというここ数日、東京に唐突に猛暑が襲来しました。そんな日々ではございますが、カワグチタケシ秋のワンマンライブのお知らせです。

秋分の翌日、9/24(日)「くるぶしの日」に西東京市保谷町(最寄は西武柳沢駅)のノラバー、落ち着いた雰囲気のあるお店で、生声の朗読と美味しいお料理をお楽しみいただける完全予約制、先着11名様限定のライブです。皆様のお越しをお待ちしています。

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ノラバー生うたコンサート

出演:カワグチタケシ 
日時:2017年9月24日(日) 17時開場、18時開演、19時~バータイム
会場:ノラバー 
   東京都西東京市保谷町3-8-8
   西武新宿線 西武柳沢駅北口3分
   ○吉祥寺からバスもあります。
料金:4,500円
   ●ライブチャージ
   ●6種のおかずと味噌汁のノラバー弁当
   ●ハイボール飲み放題
   (ソフトドリンクもあります)
   ●スナック菓子3種
   以上全部込みの料金です。
   
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銀座のノラの物語アサガヤノラの物語でもお世話になり、超リスペクトしているミュージシャンのノラオンナさんが、7月初めにご自身のお店を持ちました。西武柳沢? どこそれ遠そう、ってお思いの方、高田馬場から20分なので阿佐ヶ谷に行くのと10分しか変わりません。それに保谷といえば敬愛する戦後詩人である故田村隆一氏ゆかりの地。すこしカバーもしてみようかな、と思っています。

今回限定のご来場特典として、銀ノラとアサノラで録ったライブのダイジェストCD-Rをもれなく進呈。朗読音源は10年以上リリースしていないので、まず激レアといえましょう(当社比)。お引っ越し祝いです。

4500円は朗読会としてはちょっとお高めの設定かもしれませんが、ライブ観て、グッズ買って、食事して帰る、と考えればそうでもないですよね。そしてお料理はどなたにも必ずご満足いただけるクオリティ。ノラさんが季節ごとに素敵なお食事メニューを考えてくださいます。

*銀ノラ、アサノラより1人増えた先着11名様限定の完全予約制です。
 ご予約は rxf13553@nifty.com まで。お名前、人数、お電話番号を
 お知らせください。お席に限りがございます。どうぞお早目に!



2017年8月20日日曜日

千葉詩亭・第四十七回

JR京葉線とモノレールを乗り継いで千葉まで。大島健夫さん山口勲さん、ふたりの詩人が毎偶数月第三日曜日に、Treasure River Book Cafe で開催しているオープンマイク『千葉詩亭』にゲストとしてお招きいただきました。

割と東京みのある詩人と思われている気がしますが、僕が生まれたのは千葉県佐倉市という坂道と川のある小さな城下町。二十歳まで暮していたのにも関わらず、千葉でリーディングするのは実は初めてです。

1. Universal Boardwalk
2. 井戸
3. 八月の光
4. 九月
5. 鵜原抄4中村稔
6. 水の上の透明な駅
7. すべて
8. 新しい感情

せっかくなので、千葉っぽいセットリストを組んでお届けしました。「井戸」は夏休みの帰省中に墓参したとき、「八月の光」は御宿海岸に友人十数人で行った海水浴、「九月」は鵜原理想郷の風景を描いた、この三篇は大学時代に現代詩研究会の詩誌に書いた作品。中村稔氏1966年の「鵜原抄」も同じく鵜原理想郷を描いた詩作品です。

郷里とはいえ長くご無沙汰しており、初めてお会いするお客様が多かったのですが、みなさんこころよく迎えてくださいまして、一語一語しっかり摑まえようとしているのが伝わってきました。大島さんのお父様とそのご友人、市立佐倉中学校県立佐倉高校の大先輩方に聴いていただけたのも光栄でした。

OOMこと右田晴山さん、佐々木漣さん廣川ちあきさん。オープンマイク参加者もみなさん個性的でとても楽しめました。川方祥大さんの「御宿を忘れるな」というリフレイン、大島健夫さんの半生記、誕生日が長嶋茂雄選手のラストゲームでそこから蘭学、ヴィクトリア朝、南アフリカ、と史実が果てしなく連なるガルシア=マルケス的世界構築など、千葉テイスト溢れる素敵なパフォーマンスが続きました。千葉市在住の画家森宏さんのひとり四声アカペラコーラスも強烈に盛り上がり。

オープンマイクの前にゲスト枠を置く構成もよかったです。Treasure River Book Cafe は壁一面が書棚の落ち着くお店。お料理も美味しく、生COEDOビールも最高です。ちょうど前日にオーナー宝川紘司さんのウェディングパーティが催されたばかり。その余韻も加わり、ハッピーな一日になりました。



2017年8月19日土曜日

打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?

蒸し暑い曇りの土曜日。ユナイテッドシネマ豊洲武内宣之監督作品『打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?』を観ました。

舞台は千葉県飯岡町茂下。海岸沿いの中学校の夏休みの登校日、夜には花火が上がる。典道(声:菅田将暉)は同級生のなずな(声:広瀬すず)のことが好きだが気持ちを伝えられていない。親友祐介(声:宮野真守)と競泳で勝負して、勝った祐介をなずなは花火に誘う。

1993年に岩井俊二が脚本監督し、当時15歳の奥菜恵が主演したテレビドラマを大根仁が新たに脚色、新房昭之まど☆マギ)が総監督、シャフトがアニメーション制作。と、クレジットは豪華なのですが。

バカ男子たちの夏休み冒険ロードムービーとしても、トライアングル・ラヴ・ストーリーとしても、少年少女駆け落ち潭としても、タイムリープものとしても、中途半端でちょっと残念な結果に。タイムリープが不可抗力ではなく主人公の願望のみに基づいて起こるため、中二病の妄想にしか見えないことがその要因ではないかと思います。

シャフト制作だけあって映像はこれでもかというくらいきれいです。特に、海、プール、スプリンクラーなど、水の描写の美しさは2017年時点におけるアニメーション表現の最高峰と言ってもいいんじゃないでしょうか。

打ち上げ花火がどの角度から見ても丸いということに僕が初めて気づいたのは、1984年LA五輪の閉会式の空撮をテレビ中継で観たときです。それまではそんなことは気にもかけていませんでした。

「水の上の透明な駅のプラットホームで/君が見上げる花火を俺は/丘の上から視線の高さで眺めている」というフレーズが出てくる詩「水の上の透明な駅」を書いたのは2001年のことです。海上を滑るように渡っていく1両編成の列車の描写がアニメ版にありますが(1993年のテレビドラマ版は観ていないのでわかりません)、『千と千尋の神隠し』の類似シーンと中原中也の「言葉なき歌」(1936)を下敷きにしています。



2017年8月12日土曜日

フェリシーと夢のトウシューズ

弱い残暑の土曜日。丸の内TOEI②エリック・サマーエリック・ワリン監督作品『フェリシーと夢のトウシューズ』(日本語吹き替え版)を観ました。

フェリシー(声:土屋太鳳)はバレエ・ダンサーに憧れる11歳の孤児。同い年で発明家志望のヴィクター(声:花江夏樹)とブルターニュの孤児院を脱走しパリを目指す。フェリシーはオペラ座バレエ学校に入り、ヴィクターはギュスターヴ・エッフェル博士に弟子入りする。

技術も知識もカネもコネもないが、才能と情熱だけは人一倍。意地悪なライバルに邪魔されたり、親切な大人たちに助けられたり、芸と恋の板挟みになったりしながら、正味7~10日間ぐらいでしょうか、シンデレラストーリーとしても、痛快アクション冒険活劇として楽しめます。

ディズニー出身、のちにDREAMWORKSで『マダガスカル』や『カンフーパンダ』を手掛けたテッド・タイのCGアニメーション。大屋根の細い棟の上のバレエステップ、カーチェイスシーンの派手なカット割り、飛行/落下、等々スリリングでスピード感溢れる。19世紀末のパリの街並みの優美さ。パリ・オペラ座の現芸術監督オレリー・デュポンが振り付けしたダンスシーンはあえてモーションキャプチャを用いず、より大きく、高く、速く、観せる。

そんな短期間でバレエが上手くなるはずがない、なんて野暮はファンタジーなのですから言いっこなしです。音楽はチャイコフスキーが少々と大部分は四つ打ちのポップソング。主人公を巡って幼馴染ヴィクターとロシアの貴公子ルディ(声:内山昂輝)、男子2人の決闘のショボさに比べてフェリシーとカミーユ(声:青山美郷)のダンスバトルが華やかで野性的で力強いのも、現代的で素晴らしいなあ、と思いました。

舞台は1880年代のパリ。オペラ座(ガルニエ宮)は出来立て、1989年のパリ万博に向けて建設中のエッフェル塔、アメリカ合衆国に贈られた自由の女神像も同じ工房で造られている。自分が生まれる前からあるランドマークや芸術作品は、はじめから地上に存在していたかのように錯覚してしまいますが、誰かの大変な工夫や苦労によって創造されたものである、という当たり前の、でも普段忘れがちなとても大事なことを思い出させてくれます。


2017年8月5日土曜日

静かなる情熱 エミリ・ディキンスン

薄曇りの土曜日。神保町岩波ホールテレンス・デイヴィス監督脚本『静かなる情熱 エミリ・ディキンスン』を観賞しました。

生前発表された詩はわずか数篇。没後発見された2000篇近い草稿群が出版され、19世紀のアメリカを代表する詩人としていまも人気の高いエミリー・ディキンソンの半生を描いています。

舞台は1848年、エミリーの女学校中退から始まり、1886年5月の葬儀で終わる。

エミリー・ディキンソンといえば、マサチューセッツ州アマーストの自宅で、白いドレスを着て部屋から一歩も出ず、また誰も部屋に入れなかった。病気で往診に呼んだ医師でさえ、ドア越しに診察させたという。そんなコミュ障のひきこもり詩人。という印象だったのですが、それは43歳で父親を亡くしてから12年間のこと。それまでは一応当時の一般的な社会生活を営んでいます。服の色もさまざま。

よく言えば才気煥発で好奇心旺盛。既存の価値観には疑問符をつけ自分で検証してみたくなる。納得いかないことには必ず反発し、人間関係円滑化のために表面上同調するという選択肢を持たないので組織のなかでうまく立ち回れない。今風に言えば「生き辛い人」。結構キレやすくて、教師や親類や友達に酷い悪態を投げつける。

詩作品の主題も世界に対する呪詛に満ちているのだが、その呪詛をこの世のものとは思えないほどの美しく表現できる類稀なスキルを持つ。主人公エミリーを演じているのが『セックス・アンド・ザ・シティ』のバリキャリ弁護士ミランダシンシア・ニクソン

しかしこの映画の真の主役はエミリーの妹ヴィニーことラヴィニア・ディキンソン(ジェニファー・イーリー)だと思います。エキセントリックで才能豊かな姉とお調子者の兄、厳格な父親と病弱な母親、という厄介な家族関係の綻びをなんとかうまく修復しようと終始気を遣い努力する。最後まで報われることはありませんが、その真摯な姿には心打たれました。

ディキンソン家の数十年の時の経過を数秒で表現した肖像写真のモーフィング技術もエレガントで鮮やかです。