2017年6月12日月曜日

MINAKEKKE "TINGLES" RELEASE PARTY

MINAKEKKEさんとは以前、2013年10月にPoemusica Vol.22で共演しています。当時はMinakoさんというお名前でした。その後MINAKEKKE になって、先月1stフルアルバム "TINGLES" をリリースしたばかり。俊読2017のリハーサルと本番の間に渋谷タワレコでゲットしました。

芝浦インクスティックで観たThe Jesus And Mary Chain、後楽園ホールのCocteau Twins等々、折に触れて思い出すライブがありますが、この日のこともきっとこの先何度も思い出すと思います。

"TINGLES" レコーディングメンバー全員(&IKILLU 神田愛実さん)による演奏。更にPAにはレコーディングエンジニアの葛西俊彦さん、VJにジャケ写を撮った丹澤由棋さん。アルバムの全11曲だけを収録順に演奏しました(最終曲 "TINGLES" がアンコール)。アルバムに絶大な自信を持っていることが伝わってくるし、なによりアルバムを気に入って聴きに来ているオーディエンスにとって一番のギフトだと思います。

元来彼女は表情豊かなほうではなく、感情の起伏もおそらく少ない。MCは最小限。その歌声にはElizabeth FrazerHarriet Wheeler の残響があります。自己愛、自己嫌悪、自己表現や自己言及よりも、1990~2000年代UKロックに対する憧憬とリスペクト(そして少々のコンプレックス)が優っており、陰鬱な曲調でも聴いていて息苦しくならないのは、そのあたりに秘密があるのかも。

アルバムでは地味な存在に思えた "MARIAN" が強烈な四つ打ちのキックに乗ってフロア映えするソウルフルなダンスチューンになっていたり、アルバムを忠実に再現するのではなく、今日しかないエモーションがところどころではみ出して聴こえて来るのはライブならではの醍醐味です。

ゲストの高井息吹と眠る星座のアクトも素晴らしかった。ソングライティングの確かさ、声の力、演奏技術、アイデア、ダイナミズムとグルーヴ。どこを取っても振り切れています。そして手がつけられないほどの生命力に溢れている。これからもっとずっと高いステージに上がっていくことは間違いないでしょう。


2017年6月11日日曜日

ことばーか10 ~ザ・ファイナル

空梅雨。晴天の日曜午後、東京メトロ東西線15000系に乗って早稲田まで。ブックカフェCAT'S CRADLE蛇口さんが年一回主催しているポエトリ-・リーディング・ショー『ことばーか』の第10回目にして最終回にお邪魔しました。

蛇口さんには同じ棒読み派詩人として勝手に親近感を抱いています。かといってのっぺり無表情かというとそんなことはなく、彼の選ぶ言葉の連なりにはエモーションがあり、リーディングにはグルーヴがある。

石渡紀美さんの最近のパフォーマンスの充実ぶりには目を瞠ります。以前はもっとがちゃがちゃしたところがあって、それはそれで面白かったのですが、静けさのなかに単語を置くようないまの朗読の凄み。庶民的なのに何か人を寄せつけないところ。

馬野ミキさんがロン毛(というよりマッシュルームカットか)になっていました。スキンヘッドの印象が強かったので。この詩人はどんな汚い言葉を使っても喚起する映像が澄んでいます。いくつになっても幼児の目を失わない人。

今回の出演者ではギタリストのヤスオ・トゥワープ氏だけが初めてでした。ひとりジャグ。粗野に見せかけて超リリカル。彼と蛇口さんと石渡さんの3人で始めたイベントだということも、そのあとふたりが抜けて蛇口さんだけ残ったことも初めて知りました。

さいとういんこさんも強力でした。「S・R・H」(白髪、老眼、閉経)。なんていうか、若いミュージシャンや詩人が等身大とか言ってるのがちゃんちゃら可笑しくなるぐらい。リアルとはこういうこと。そしてチャーミングな方法で提示すること。

桑原滝弥さんは自叙伝風の散文詩。彼の声は大まかに2種類あるのですが、鋭くて硬質な声を中心に置き、時折テンポダウンして倍音混じりの深い低音に転じる。この2声のバランスと転換の鮮やかさが今日は絶妙に決まって。

15年以上前から共に場数を踏んできた盟友たちの名人芸に聴き惚れた日曜日の午後でした。


2017年6月3日土曜日

カフェ・ソサエティ

水無月。日比谷TOHOシネマズみゆき座で、ウディ・アレン脚本監督作品『カフェ・ソサエティ』を観ました。

舞台は1930年代ゴールデン・エイジ。NYブロンクス出身のユダヤ人青年ボビー(ジェシー・アイゼンバーグ)はキャスティングエージェントとして成功した伯父フィル(スティーブ・カレル)を頼ってハリウッドに出る。フィルの秘書ヴォニー(クリステン・スチュワート)に恋をするが、彼女は伯父の愛人だった。

一度はヴォニーの心を掴んだボビーだが、結局ヴォニーはフィルと結婚してしまう。失意のボビーはニューヨークに帰り、兄ベン(コリー・ストール)の経営するナイトクラブのマネジャーになって成功する。そして数年後の再会。

「片想いは結核よりも多く人を殺す」。得意のロマンティックコメディをアレン監督が職人芸で魅せます。ストーリーが斬新でなくても、ギャグやスラップスティックがなくても、随所にセンスが光る。

ヴォニー「夢は夢よ」、ボビー「永遠に続く感情もある」。気の利いた台詞ときめ細かい演出で登場人物の揺れる心情を描き、映画の後半にはきっとみんな主人公ボビーを応援したくなると思います。

ただのよくあるラブストーリーに終わらないのは、ボビーの実家のユダヤ人一家のひとりひとりがエキセントリックで面白いから。興奮するとイディッシュ語になるけれど「こちらは雨よ。美しいけれど物悲しい」と息子に詩的過ぎる手紙を書く母親。理屈っぽい哲学者の義兄。そして息をするように自然に気に入らない者たちを銃殺する実兄。カリカチュアライズされた描写が最高に笑えます。

全篇に流れるノスタルジックなジャズVince Giordano And The Nighthawks の"The Lady Is A Tramp" がメインテーマ)、シャネルが提供したハリウッドセレブたちのゴージャスな衣裳。名匠が肩の力を抜いて、手を抜かずに創ったチャーミングな工芸品を堪能しました。

 

2017年5月28日日曜日

日曜音楽バー ラストアサノラ

リスペクトする音楽家ノラオンナさんが日曜日だけ店長を務める『日曜音楽バー アサガヤノラの物語』。毎週一組のミュージシャンの食事付ワンマンライブが開催されてきましたが、会場のBarトリアエズの閉店により、今回がラストアサノラ

もともと銀座コリドー街のバーときねで2011年末に始まった『銀座のノラの物語』にはじめてお邪魔したのが2012年5月のノラミタ(ノラオンナと見田諭)の回。同じ年の春先に下北沢SEEDSHIPでノラオンナさんと初共演した直後のことです。

それから銀座で2回、2013年7月に阿佐ヶ谷に引っ越してから6回、計8回も出演者としてお世話になり(銀座の2回目はラスト銀ノラでした)、観客としてもしばしば訪れて、音楽と食事とハイボールを楽しみました。

ラストアサノラのバイキングは、これまでのアサノラ弁当の集大成ともいえる内容で素晴らしかったです。「おいしい。もう一口食べたい」という長年の願望がビュッフェスタイルで叶えられました。

古川麦くんはカバー多めのセットリストで生来の優しさと知性を丁寧に手渡すような演奏。はじめて聴いたストラトキャスターの音色がクリアで柔らかかった。ノラさんはほろ酔いな雰囲気で、普段は空気がちょっとピリっとするようなところも魅力なのですが、今夜は超リラックスモード。それでも最終回の感傷だけに浸ることなく、麦くんは「LOVE現在地」、ノラさんは「都電電車」と、各々最新曲で締めたあたり、これからを感じさせるライブだったと思います。

銀座の地下3階のしんと静まり返った密室感と、住宅街の通りに面して大きなガラス窓から人々の営みを望む阿佐ヶ谷。対象的なシチュエーションではありましたが、そこで提供される音楽とノラさんの心づくしの手料理はいつもクオリティのあるものでした。

7月からは西東京市の西武柳沢に自分の店ノラバーを持つノラさん。日曜音楽バーも2度目のお引っ越しです。敬愛する詩人、故田村隆一氏がかつて暮らした保谷で、紡がれる新しい物語を楽しみにしています。


 

2017年5月27日土曜日

夜明け告げるルーのうた

夏日。T・ジョイ PRINCE品川湯浅政明監督作品『夜明け告げるルーのうた』を鑑賞しました。

舞台は、フカヒレと人魚の町日無町。入り江の奥に寂れた漁港と水産加工場があります。主人公・足元海(声:下田翔大)は鬱屈した中学3年生。両親の離婚により釣舟屋と傘製造を営む父親の実家に引越してきた。宅録を動画サイトにアップして高評価を得ている。

中学の同級生の遊歩(声:寿美菜子)と国夫(声:斉藤壮馬)にバンドに誘われ、練習場の島で、人魚の女の子ルー(声:谷花音)に出会う。人魚を忌み嫌う者と町おこしに利用したい者、大人たちの思惑と大浸水で小さな町は大混乱になってしまう。

先月公開した同監督の『夜は短し歩けよ乙女』が良かったので、帰りに窓口で前売を購入したのでした。湯浅監督らしい斬新なアニメーション表現が随所に見られて僕はとても楽しめました。『夜は短し~』のビールの描かれ方に「おおっ」ってなりましたが、今作も海水をキューブ状にして宙に浮かせる描写が素晴らしいです。動きを通じて質量がしっかり感じられる。回想シーンの切り絵みたいなフラッシュアニメーションも美しかった。

一方で、カイやユウホなど主要なキャラクター気持ちがどのような理由あるいは出来事で変化したかが充分に描かれていないように思えました。ルーや端役の心理描写には一貫性があるので、よけいにそう感じてしまうのかもしれません。そのため、登場人物に感情移入しないと気が済まない、または物語への共感の度合いが唯一の価値基準になっているタイプの観客には訴求しないつくりだと言ってもいいと思います。

崖の上のポニョ』『リトル・マーメイド』、更に遡れば『魔法のマコちゃん』、実写なら『スプラッシュ』とマスターピースたちが存在する人魚ものに敢えてチャレンジした湯浅監督の勇気を讃えたい。その深層には3.11以後の津波に対する恐怖を乗り越えたいという強い意思があるのではないでしょうか。

主題歌は斉藤和義の「歌うたいのバラッド」。1990年代のJ-POPを代表する名曲中の名曲です。1992年、メジャーデビュー直前のライブを渋谷エッグマンで観たことがあります。誘ってくれた友だちは翌年他界しました。生きていれば斉藤和義と同じ50歳です。



2017年5月20日土曜日

胎動 Poetry Lab0. vol.6

ザ・ファースト・デイ・オブ・サマー。西荻窪 ALOHA LOCO CAFE で開催された『胎動Poetry Lab0. vol.6』に出演しました。

ハードコアやヒップホップを中心にCD制作やイベント企画をしている 胎動レーベルさんが主催するポエトリーライブ。プリシラレーベル枠をいただき、 石渡紀美さん小夜さんと3人でお呼ばれしたというわけです。

4時間近い長尺イベントでしたが、出演者がバラエティ豊かな芸達者揃いなのに加え、 ガチャ山口さんの端正なMCとアクトの間に挟まる 000(Zer0)さんのDJタイムも良い切り換えに。ポエトリーリーディングのライブはどうしても進行が間延びしがちなのですが、ヒップホップのパーティにも通じるテイストで、ほとんど長さを感じませんでした。

オープニングアクト、ポエトリーラップの ザマさん。熱かった。短歌の 桜望子さんは連歌(独吟百韻)。ふたりとも大学生です。

Fcrow(ふくろー)さんもポエトリーラップだけど、ザマさんに比べると軽妙で余裕があるなあ。ちょっとコミカルで唄要素が強い。でも意外と芯を捉えていて「言葉の力とか言ってたんですけど、言葉そうでもないなあって」。伝えたいようには伝わらないことを知り、次の一歩を踏み出した人はきっと強くなる。

オープンマイクを挟んで、 木下龍也さん。歌人ですが、短歌朗読ではなく、観客にカンペを持たせ脱構築且つ超脱力な 杉田玄白ラップをかまし、最後は切なくも笑える恋愛詩で締める。貴公子。

Anti-Trench向坂くじらさん(Poetry)と 熊谷勇哉さん(EG)。エモい。くじらさんの詩は技巧的というか、客観的で対象から一歩引いたようなところがあって好感を持っていたのですが、声に出すととてもエモい。結構これは両刃なんじゃないでしょうか。

そして、石渡紀美さん、小夜さんと続きました。身びいきではなく、小夜さんの朗読は会心の出来だったと思います。最後の出番が僕でした。

無重力ラボラトリー(feat. 小夜)
International Klein Blue
ANOTHER GREEN WORLD
・スターズ&ストライプス
・永遠の翌日
(feat. 石渡紀美 & 小夜)

デュオ、トリオ入れて全6篇。これ以外に石渡紀美さんが「 森を出る」を朗読してくれました。年代的な要因もあるのかもしれませんが、作品あるいはパフォーマンスと演者の距離が遠いのがプリシラなのかな、と思いました。創作や発表の結構早い段階で自己表現には興味がなくなってしまった。むしろ感覚的には、作品に表現させられている。そしてその作品を創っているのがたまたま自分。というぐらいが心地良いし、読者やオーディエンスにできるだけ余地を残したいのです。

ご来場のお客様、会場スタッフさんたち、オープンマイク参加者と共演者の皆様、DJ000さん、司会のガチャ山口さん、主催者胎動レーベル ikomaさん、どうもありがとうございました。



2017年5月6日土曜日

ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン2017 ③

ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン2017』3日目の最終日、有料公演は3つ聴きに行きました。

■公演番号:364 
G409(ヌレエフ
15:15~16:00
梁美沙(ヴァイオリン)
広瀬悦子(ピアノ)
シューベルトヴァイオリンとピアノのためのソナチネ第3番 ト短調 D.408
モーツァルトヴァイオリンソナタ第21番 ホ短調 K.304
ストラヴィンスキーイタリア組曲(バレエ「プルチネルラ」から)

初日の無伴奏(ソロ)、2日目の弦楽アンサンブル、3日目はピアノとデュオ、と3形態の梁美沙さんの演奏を聴きました。シューベルトとモーツァルトは短調の楽曲でしたが、上へ上へとどんどん伸びていくようなヴァイオリンの音色、それにつれて爪先立ちになって演奏する姿を記憶に刻みました。スラヴィンスキーの終盤でアンサンブルが少々乱れたのは3日間で6公演と大活躍の疲れもあったのでしょう。

■公演番号:345 
ホールC(バランシン) 19:00~19:45
パスカル・ロフェ指揮
フランス国立ロワール管弦楽団
ラヴェル古風なメヌエット
ストラヴィンスキー:バレエ「春の祭典」

今回唯一のフルオーケストラプログラムは、典雅な中世の舞曲と見せかけて実はレプリカントなラヴェル(上述のストラヴィンスキーのイタリア組曲と似た位置付け)とアコースティック楽器によるノイズ/インダストリアルの元祖「春の祭典」という攻めのセットリスト。フランス人の指揮でフランスのオケが演奏すると、ロシアのルサンチマンともドイツのコンストラクションとも違う、八方破れな狂気が炙り出されます。

■公演番号:367 
G409(ヌレエフ)
20:45~21:30
ドミトリ・マフチン(ヴァイオリン)
ミゲル・ダ・シルバ(ヴィオラ)
モーツァルト:ヴァイオリンとヴィオラのための二重奏 ト長調 K.423
ヘンデルハルヴォルセン編):パッサカリア

LFJ2017の最終プログラムはヴァイオリンとヴィオラという最小単位弦楽アンサンブルでした。ロシア人とスペイン人のおっさんふたり(でもおそらく年下)。共通点は眼鏡で小太り。わずかにピッチが甘いところがあったものの、それを帳消しにするハイテンションで楽しい演奏でした。もはやこのプログラムのどこがダンスなのかはアレですが(笑)。

昨日は市民階級の台頭により、宮廷舞踏会が演奏(観賞)会に、つまりお金を払えば身分に関係なく音楽が楽しめるようになったかわりに、ダンスミュージックの機能が失われたというところまででしたが、宮廷舞踏が一方ではバレエという形式に洗練され専門職化する過程を今日は辿りました。ダンスは踊るものから観賞するものに。ここにもうひとつのパラダイム転換があった。

では一般市民からダンスの習慣が完全に失われたのかというと、そういうことではない。ホールEの無料プログラムで途中から観たテリー・ライリーの「in C」はミニマルミュージックの古典であり記念碑的作品です。地下の円形ステージを周回しながら踊る老若男女の姿は全く洗練されておらず東洋人らしい不器用なものでしたが、この不器用で好き勝手な身体表現の衝動こそダンスの本質ではないか、と思いました。